人はスランプに陥ったとき、どのようにしていくのが正解なのでしょうね。
※今回は考察、ネタバレ記事となっています、未プレイの方はお気をつけください。
ウィリアムとウィリーとウィンキーと
さて、この物語は、スランプに陥っているウィリアムという画家が、陰気な「ウィリー」と傲慢な「ウィンキー」と呼ばれる二人と出会い、それぞれと共に行動することで、自身を振り返っていく内容となっています。
物語についての考察
小さい頃から、厳格な父の下で育ち、誰かの顔色を伺っていた少年は、エドと出会い、初めて「人に認めてもらう喜び」を体験しました。
しかし、それから彼は悩むことになったのです。
少年は認められるために、遊びを辞め、絵を描くようになりました。
また、誰かに認めてもらうために。
自分という存在を見失ってしまったとしても。
ウィリーの考え
幼少期、天才と評された主人公、ウィリアムはスランプに陥っていた。
そのスランプの最中、自分がどうしたら良いか分からなくなったウィリアムは、ある考えが頭の中にあることに気づく。
「周りの評価を気にすることなく、自分の絵を追求していくことが望ましい」
そんなとき、ウィリアムの元に一通の手紙が届く、それはウィリアムの親友、エドからの手紙だった。
その手紙には、スランプに陥ったウィリアムを心配する言葉があった。
書き出しは「親愛なるウィリーへ」。
エドは自分の描きたい絵を描く、ウィリアムの絵がとても好きだった。
しかし、ウィリアムの絵はいつまでも誰かを惹き続けることができるものではなく、周りが過剰に高く評価しているだけだと考えた。
いつか、必ず否定される。
特に、描いている自分が、人とうまく話せず、受け身で、誰かの指示がないと動くことができない、そんなダメな人間だからこそ、否定される未来は必ず来るのだ。
今までの人生がそうだったように。
だから、自分は誰かのためではなく、自分のために絵を描きたい。
それが叶わないなら、絵を辞めてしまいたい。
ウィリーはそう考えた。
ウィンキーの考え
幼少期、天才と評された主人公、ウィリアムはスランプに陥っていた。
そのスランプの最中、自分がどうしたら良いか分からなくなったウィリアムは、ある考えが頭の中にあることに気づく。
「周りに合わせて、認められていくような絵を書いていくことが望ましい」
1950年、ロンドンでの個展でウィリアムの作品は称賛された。
そこで、エドと出会った。
エドは自分の絵を非常に気に入ってくれて、それから交流を持つ中で親友となっていった。
しかし、この出会いが、自分の自由を奪ってしまう原因だったのかもしれない。
周りに評価されること、万人に愛されること、それこそが至高だという考えに取り憑かれたウィリアムは、感性を磨くのではなく、技能を高めることを重視した。
だからこそ、共に絵を書いていたエドの技能が自分を超えていこうとする様子を見て我慢ができなかった。
親友であるからこそ、彼を妬む気持ちを止めることができなかった。
そうしている内に気づけば、自分や他人を愛する方法を忘れていた。
だからこそ、自分は周りを利用して、周りに愛させよう。
たとえそれが不可能だと気づいていたとしても、自分が完璧になれないのなら、そうするしかないのだ。
ウィンキーはそう考えた。
ウィリアムが求めていたもの
愛が欲しい、認めてもらいたいという考え。
その思いが強くなれば強くなるほど、承認欲求という名の黒い犬は大きくなり、自分自身の首を締めていく。
今の現状を変えたい、だけれど、絵は描けない。
ウィリアムはどうしたら良いか分からず、今、ようやく精神科医に認めてもらうことで、少しずつ自分の中で整理をつけることができるようになってきている。
今まではいい人であれば、愛をもらえた。
でも、これからは変わっていかなければならない。
他人に依存するのではなく、自分自身で解決していくのだ。
ダウンロード等はこちら
ふりーむ(https://www.freem.ne.jp/win/game/20189/ )
作者HP(https://spacedebrisgame.weebly.com/ )
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