人は自らの幸せになる選択をできる生物である。
普通は不幸か
今回の物語は、852話さんの作品の中では、狂気度が少し低くなっている作品ですね。
確かに沢山の絵が出てきますが、それぞれの絵についての禍々しいストーリーがあるわけでもないので、人を狂気サイドと普通サイド双方で、幸せについて理性的に語りかける作品となっています。
さて、今回の主人公は不幸体質というか、不幸やトラブルを跳ね返す力というか、行動力の低めな人。
決められた毎日を送り、自ら変化させようとはしないタイプの人となっています。
そこで、主人公は私も考えたことがある「事故に遭いたい」「私の関係ないところで死ねばいいのに」といった思考回路に陥っています。
最終的には幸せになっているようですが…。
※まさしく、この歌がぴったり 「しねばいいのに」 ニコニコ動画 youtube (ボカロ曲です)
狂気サイド
今回の狂気サイドでは、不気味な絵を並べていた作者から、一枚の絵を貰うことからストーリーが展開していきます。
狂気サイドのエンド付近で分かるのですが、その作者は暗い中で、主人公を書いていたのでしょう。
しかし、それは不思議な力で本来の姿で見ることができない絵となっていました。
代わりに見えていたのが、4脚の椅子の絵。
この絵は、誰かを不幸にし、その回数だけ椅子に手が座らされていく。
…手が座るとはこれ如何に。
嫌な人が死んだ、それはその時においては幸福値は上がることでしょう。
しかし、長期的に見ると、自分自身が何か変わったわけではないので、また同じようなことが繰り返す可能性があります。
受動的な幸せは長続きしないものです。
本作はそれを絵を題材として伝えようとしているように思います。
しかし、実際問題、受動的に幸せになろうとしている人って多いんですよね…。
私の身の回りにもいたんですが、文句ばかり言って自分で行動をしようとしないタイプの人間。
それじゃ、死ぬまで何も変わらないぞ、と。
普通サイド
普通サイドは狂気サイドと異なり、能動的な幸せについてが描かれています。
今を変えたいならば行動することが最も大切です。
それは、ゲーム内にもあったような、帰り道を変えてみるといった一歩からでも良いのです。
小さな変化が人生を変化させることに繋がっていきます。
そして、その幸せの一歩はふとした瞬間に現れることが多い気がしています。
「思い立ったが吉日」という言葉があるように、何かを変えようと思った瞬間が最も人生を変えやすい瞬間になっています。
この記事を書いているのが1月末なのですが、新年というのは「思い立ちやすい日」でもあります。
しかし、行動が伴わないと何も変わらず…。
新年を迎えて、「こうありたい」「こうなりたい」と思ったこと、忘れていませんか?
忘れるのが当たり前ですので、思い立った瞬間にすることが大切なんですよね。
みなさんもしたいこと、変えたいことが見つかったら、思い立った瞬間に行動してみてくださいね。
プレイ等はこちら
ふりーむ(https://www.freem.ne.jp/win/game/27480 )
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